田舎暮らしをしていると、やはり草刈りは重労働です。
年に何回か、地域の「草刈り」は義務として行いますし、庭や畑の草たちの伸びる勢いのすさまじさといったら!
野菜を作るときには、種をポットにまいて、発芽させ、ある程度まで育ってから、苗を畑に植えることが多いです。
最初、経験のない私には、この工程が無駄に感じられました。どうせ、畑に植えるのだから、何もわざわざ植え替えの手間を増やすなんて……と。
しかし、実際に畑で種を直播きしてみたら、この工程が必要である理由がよくわかりました。
先日、ゆずりうけた大事な白菜の種を、3分の2ほどポットに種き、残りを畑に直播きしてみました。数日後、ポットの土からも、畑の土からも小さな芽が出ていて、大喜びしていたのですが、さらに数日後、畑に行くと……ガックリすることになりました。
雑草と白菜の芽の区別がつかない!
数日前、小さな発芽を確認したときに、まわりの草は全部きれいに抜いたはずでした。
にもかかわらず、もはや、雑草なのか白菜なのかわからない状態に。
このまま草を抜かなければ、白菜は草に負けて育たないだろうし、かといって、どれが草でどれが白菜かわからない……。
とにかく、雑草たちの勢いはすごいのです。
もはや植物というより動物に近いとさえ感じます。
けれど、そんな雑草が嫌いかというと、決してそんなことはなく、あっという間に畑が草むらになる様子にげんなりしながらも、その営みに心動かされる気持ちもわいてきます。
雑草たちと向き合ってから、すごく印象的な絵本に出会いました。
1985年に発行されたこの絵本は、ロングセラーとなって、今なお読み継がれています。
何がすごいって、畑の一区画を5年間もの間、手を加えず自然のままにして、雑草たちの生態を取材して描かれた作品であるという事実。
絵本には、雑草たちのドラマチックな生存競争の様子が描かれています。
春、夏、秋と地上で激しく闘った雑草たちも、冬は全部枯れてしまう。しかし、地下では雑草たちの根っこや種がひっそり生き抜いて、芽を出すチャンスをうかがっています。
そして、1年目に一大勢力を誇っていた草は、次の春にはもうその勢力を失い、別の草が勢いを伸ばすというのですから、まさに諸行無常。人生の浮き沈みと重なります。
この絵本は、雑草たちのくらしを通して、自分がどう生きるのか示唆してくれ、これまでの人生に腹オチする感覚さえ与えてくれる1冊です。
よく見かけるけれど、名前を知らなかった草花の生態についても知ることができますよ。
まだ読んだことのない方は、ぜひ、読んでみてください。
(田舎暮らし イシダヨウコ)
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