東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花、
主(あるじ)なしとて春を忘るな 菅原道真
ウメと聞くとつい吟じたくなる一句ですが、このウメ(バラ科)を図案化したものの総称が「梅文」です。菅原道真(八四五~九〇三)が愛した花であったことから、道真公を祀る各地の天満宮にはウメの木が植えられ、神紋に梅紋が使われています。
各地の天神さまで梅まつりも開催される
中国の故事に「学問に励むとウメが咲く」とあり、ウメは好文木(こうぶんぼく)とも呼ばれる。ウメは奈良時代に中国から花木として渡来したとされ、万葉集のなかでもウメを詠んだ句はハギに次いで一一九首が知られ、花見の主役が現代のようにサクラとなる前はウメだったとされています。もちろん、極寒のなかで美しい花を咲かせ凛とした香りを漂わせるだけでなく、奈良時代にはカキ、ナシ、アンズ、モモと同様に加工して生菓子にされていたことも知られています。
疫病にかかった村上天皇(在位九四六〜九六七)が梅干しと昆布を入れた茶を飲んで回復されたという記録が残されていることや、江戸時代の『本草学(ほんぞうがく』によるとウメは花・実・葉・枝・根に薬効あることから、梅文は疫病退散の願いに通じるとされました。また、戦国時代からウメは兵糧食として知られ、梅干しは保存食としてだけでなく傷の消毒や戦場での食中毒・伝染病の予防に使われていたことから、梅文は武運長久や立身出世の縁起が担がれました。
梅の古木を図案化したもので大正時代の作品。
色紙のなかに描く方法を色紙取りといいます。梅文が描かれています。
梅文様は多種多様
代表的な文様には、ウメの枝を槍に見立てた『槍梅文』をはじめ、ウメを円形に描いた『梅丸文』やウメを捩じって描いた『捻梅文』、八重咲きのウメを描いた『八重梅文』が知られます。そのほか、ウメは言葉遊びや語呂合わせからは「梅」は「産め」と同じことから、子宝祈願・安産にも通じると考えられ、小袖の文様のなかには波間にウメの花を散らした波に梅文があります。
愛でて良し、食べて良し、そして数え切れないご利益にも通じるとされる梅文はさまざまなかたちで図案化され、染織では婚礼衣装をはじめ、着物・帯・和小物に使われ、小間物・調度品・各種陶磁器・漆器といにしえの時代から現代までありとあらゆる場で使われている日本を代表する文様といえます。
白と黄色のウメが鮮やかに描かれている大皿。
文様と植物は切っても切れない関係
最後に宣伝になりますが、筆者は日本の植物をモチーフにした『しあわせを招く 日本の文様 春夏秋冬花尽くし(芸術新聞社)』を刊行しました。本書は日本古来の伝統文様から、昭和を中心に明治、大正時代に生まれたレトロモダンな植物文様を紹介。植物に関しての監修は元趣味の園芸編集長で園芸普及家の出澤清明氏が担当しました。
(藤依里子 植物文様研究家/グリーンアドバイザー)