その名の通り、あのタチバナが……
タチバナは、日本では古来から親しまれてきた植物のひとつ。桃の節句で飾られる雛人形は、京都御所の紫宸殿(ししんでん)の前庭に正面の階段から右側にタチバナ、左側にサクラが植えられていることから「右近橘、左近桜(うこんのたちばな、さこんのさくら)」といわれることでも知られていますね。
橘樹神社ってどんな場所?
橘樹(たちばな)神社、地元では通称「橘さま」と呼ばれている神社です。境内は広く、ホッとひと息つける場所にもなっています。神社内にはタチバナの木を見ることもできますが、ご神木とされているのではないようです。境内のメンテナンスをしていた女性に尋ねたところ、「この神社には特にご神木とされる木はなく、神社の境内にある木はすべてご神木なんですよ」とのことでした。ちなみに、この神社は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の后である弟橘媛(オトタチバナヒメ)を祀っています。また、上総五社(玉前神社、橘樹神社、島穴神社、姉埼神社、飽富神社)の一つとされ、正史に記された弟橘媛を祀る神社とされています。
弟橘媛とタチバナ
弟橘媛は、弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)の名でも知られています。弟と付くから男と思いがちですが、古文では弟、妹、同性の年下のきょうだいなどでも使われ、「おと」「おとと」とも読みます。弟橘媛はあの日本書記や古事記に登場するあの日本武尊の妻、 そして、神話のなかではラブストーリーも残されていました。
お話しは、日本武尊が弟橘媛と一緒に相模国(神奈川県)から上総国(千葉県)へ向かった時のこと。三浦半島と房総半島に挟まれ、今は浦賀水道と呼ばれる場所を見た日本武尊は「パッと飛び上がって渡れそうなほど小さな海だ!」と軽口をたたいてしまいます。すると、穏やかだった海が荒れ狂い、乗っていた船は進むことができなくなってしまいました。妻の弟橘媛は「海神さま怒りを鎮めてください」と、夫である日本武尊のために海に身を投げたのです。するとさっきまで荒れていた海は穏やかになり、日本武尊は無事、船で海を渡ることができたというのです。
弟橘媛は命をかけて日本武尊を救ったとされています。無事に海を渡った日本武尊は、妻の名に由来したタチバナの木を墓標にした場所がこの橘樹神社の由来ともされています。ちなみに、橘樹神社はここ以外、神奈川県川崎市(高津区)にも同名の神社があります。
立ち入り禁止区域も
この橘樹神社には、社殿後方に弟橘媛の墓と伝えられる墳丘があり、神聖な場所とされ立ち入り禁止になっています。またエノキ、クスノキ、タブノキなどを見ることができるこの社叢(しゃそう)と呼ばれる神社境内を囲うように密生している林は、市の天然記念物となっています。
遺跡でもある
境内に並ぶ看板を見るとここが遺跡としても重要な場所であることがわかります。あまり看板などをじっくり読むことがない筆者ですが、ときには読んでみることも大切なんだなぁと思いました。また、この橘樹神社からほど近い場所に、江戸中期の儒学者・荻生徂徠が暮らした場所と記された碑や、その母親の墓などもあります。
- 『橘樹神社』:千葉県茂原市本納738
(グリーンアドバイザー、開運植物文様研究家 藤依里子)