ご神木を探し、日々あちこち足を伸ばしていますが、先日、熱海で樹齢なんと2000年クラスのご神木に出あいましたが、夕方だったため肝心のご神木が視認できずにボツ! なんてことも。くくく……。さて、今回ご紹介するのは歴史的にも有名なエピソードのあるご神木です。ただ、残念なことに今はエピソードしか残ってはいないのですが……。
その昔、神社とお寺は同じだったとか
今でこそ、神社とお寺は違うものと扱われていますが、その昔、神社とお寺の区別はなく、神仏習合(平たくいうと同じようなもの)だったとされています。この八幡神社は上田端の住民の鎮守で、今では隣にある大龍寺が八幡神社を管理するために置かれたお寺だったとされています。ちなみに、地名の田端は今ではマンションが立ち並びその面影もありませんがその名のあらわすとおり、昔は田畑ばかりの場所だったそうです。
伝説となったご神木〜争いの杉〜
今回のご神木「争いの杉」は、その昔この上田端八幡神社の境内にある白鬚神社の近くにあったとされています。その白鬚神社(当時の場所:田端6丁目9−1)の畑のなかにあったご神木でした。その木の高さは、二丈五尺(約8.3メートル)、幹の太さは九尺(約3メートル)で遠くから見るとマツにも見えたことから、武将・畠山重忠(平安時代末期〜鎌倉時代初期)と家来とが、マツかスギかで争ったという言い伝えが残されています。
また、民俗学者・柳田国男(1875年7月31日 〜1962年8月8日)の説では、2本の大きなスギがあり室町時代後期の武将のひとりとしても知られる太田道灌と一人の侍が、こちらも遠くからこの樹を眺め、マツかスギかで争い近くで見たらスギだったことから、自分の発言を恥じて命を落としたとされています。そのほかにも、この2本のスギが争っているように見えるからその名がついたともされています。
とはいえそのご神木、移植されたときに1本が枯死してしまい、1本だけが残っていたとされ、その残った1本も枯死し、その後建築用材となり八幡神社の社務所が建立に使われたとされていました。しかし、その社務所も戦災焼失……。今となっては伝説のご神木としか言いようがありません。
とりあえず、境内では
境内で注連縄(しめなわ)が巻かれている木を発見しました。イチョウのようでした。神社側に確認はしていませんが、現在のご神木はどうやらイチョウのようです。また、この境内にはスダジイの姿を見ることもできます。
ちなみに、田端は多くの文筆家が住んだ街としても知られていることから筆才向上守というものがありました。芥川賞や直木賞を狙いたい方はぜひ!
- 『上田端八幡神社』:東京都北区田端4丁目18−1
(グリーンアドバイザー、開運植物文様研究家 藤依里子)