水戸駅には黄門様が!
筆者にとって初・水戸でございます。正直、なにもない場所だろうと侮っておりましたが……ごめんなさい。水戸は都会でした。駅周辺は立川駅にもどことなく似た雰囲気がありました。
そしてこの水戸駅にはおなじみ黄門さまと助さん、格さんの銅像や納豆のアート作品もあります。ちなみに、黄門さまは水戸藩第二代藩主・徳川光圀の隠居後の別称、助さんは佐々介三郎、格さんは安積覚兵衛、いずれも光圀の側近のお二人がモデルだったとされています。ということで、まずは徳川ゆかりの場所のご神木を紹介します。
徳川ゆかりの場所、水戸東照宮
水戸東照宮、地元では権現さまの愛称で親しまれている場所です。徳川ゆかりの地ということで、神社の鳥居を含めいろいろな場所であの葵の御紋を目にすることができます。
境内には御神木のクスノキがありますが、空襲で焼けてしまい今は二代目であるとのことでした。ちなみに、水戸東照宮は元和七年(1621年)四月二十一日に水戸初代藩主・徳川頼房公が、父徳川家康公の御霊をこの地に祀ったことが始まりだとされています。御神徳は、徳川家康公は戦国の荒れた世を天下泰平を祈り「和」の心を大事にし、家庭・地域・国が一つにまとまるように努めた将軍として知られています。また、東海道の道路整備や薬学・医学書にも精通し、自ら薬を調合し様々な病気を治したと同時に、家康公は当時の平均寿命を遥かに超えた長寿将軍でもありました。そのため御神徳は幅広く、家内安全、縁結びはもちろん、交通安全祈願、商売繁盛、営業繁盛、さらには身体健全・病気平癒の祈願を託すことができるのだそうです。
当初は神仏習合で仏祭
ちなみに、天保十四年(1843年)第九代藩主斉昭公が従来の仏祭を廃止を受け、神道による祭祀
となりました。また、当時の地名では霊松山とされていましたが、元禄十二年(1699年)第二代藩主光圀公によって常葉山(ときわやま)となりました。ちなみに、マツは冬でも美しい緑を保つことから別名で常盤木(ときわぎ)とも呼ばれています。今回は立ち寄れませんでしたが、旧水戸の藩校で知られる弘道館には「左近の桜」の近くに「右近の松」として知られる、徳川斉昭公御手植えの黒松があります。
平成三十三年(2021年)は四百年祭!
今年は社殿・社務所・境内の復旧を終了する予定となっていることもあり、拝殿に続く門の天井に描かれる「天井画」は、スズメやメジロが美しい植物とともに描かれているもの見どころたっぷりですよ。
徳川といえば、葵の御紋!
すでに触れていますが「この紋所が目に入らぬか」で有名な葵の御紋。この葵紋ですが、三つ葉葵紋だけでなく、立葵紋、丸に一つ葵紋など様々あり、賀茂神社の神紋、賀茂氏の象徴としても知られています。
水戸東照宮で見られるのは葵紋の中でも徳川葵紋で知られる三つ葉葵紋。ちなみに葵紋は、豊臣家が滅び徳川家が使用するようになると、葵紋自体が特別な家紋になり、一般的な使用がはばかられるようになった家紋の一つとされるようになりました。そのことから、当時の江戸ではきゅうりは輪切りの断面がこの三つ葉葵紋に似ているため、徳川への冒涜であるとして、武士はきゅうりを食べなかったのだとか。
- 『水戸東照宮』:茨城県水戸市宮町2-5-13
(グリーンアドバイザー、開運植物文様研究家 藤依里子)