河の辺の つらつら椿つらつらに
見れども飽かず巨勢(ごせ)の春野は 春日蔵首老(※1)
万葉集ではこの句をはじめ九首あることが知られるツバキ(ツバキ科)を図案化したものの総称が「椿文」です。万葉集でツバキは海石榴・都婆伎・都婆吉の文字があてられ、それが文様名に使われていることもあるようです。ツバキは日本原産の植物のひとつで、いにしえの時代から油を採取できることが知られ、採取されたツバキ油は食用だけでなく、化粧品・薬品などの原料としても使用されています。
ツバキには古代から悪霊を払う力があり、仏教では散華(さんげ)の儀式に用いられ神聖な樹木とされています。
ツバキは美に結び付くとされ、老舗化粧品メーカーのシンボルマークとしても描かれているのは、八百歳まで生きたという伝説上の女性・八百比丘尼(はっぴゃくびく)が洞窟にツバキを植えたという伝説に基づくとされています。
椿文が数多く描かれるようになったのは、江戸時代に刊行された『百椿図(ひゃくちんず) ※2』の影響や茶道の流行によるものだとされています。ちなみに、ツバキは茶室では11月の炉開きから翌年の炉塞ぎまで花の少ない冬に飾ることができる茶花のひとつであるようです。そのこともあり、ツバキを茶道具とともに配した茶道具文なども描かれています。
また、江戸の茶人のひとり小堀遠州(こぼりえんしゅう)が好んだ名物裂の文様は遠州椿文と呼ばれ、今でもツバキ文の代表として知られています。ツバキを使った文様の特徴は、花だけでなく枝も描かれた枝椿文が一般的です。ツバキを描いた染織では、江戸時代の平絹、友禅染の『小袖 茶平絹地椿枝垂柳掛軸(ちゃへいけんじつばきしだれやなぎかけじく)文様(東京国立博物館所蔵)』が有名です。
女児のキモノに描かれた図案。鶴には長寿、椿には美、御所車には富貴繁栄と願いが託され描かれています。
蝶と椿を組み合わせ図案化したものです。
ツバキは花ごと枝からポトリと落ち、その散り方が斬首に通じ不吉だと武家からは嫌われ、家紋としてはあまり描かれることがなかったとされています。しかし、このポトリと落ちるは、出産では安産の象徴とされ安産祈願に通じるものだとされています。
染織だけでなく、椿は陶磁器などでも見ることができます。
ツバキをモチーフにした和菓子などもあります。
※1 春日蔵首老(かすがのくらのおゆ):飛鳥時代から奈良時代にかけての僧・貴族・歌人。氏は春日蔵・春日椋とも記される。
※2 百椿図:多くの異なる種類のツバキを描き、変化に富む楽しみ方が濃厚な彩色と的確な筆致で描かれている。
(藤依里子 植物文様研究家/グリーンアドバイザー)